本記事は、フランスの国家観光政策を支える制度である「France Tourisme Ingénierie (FTI)」について紹介する。FTIは、地方自治体や大規模な観光プロジェクトを主たる対象とし、戦略策定、事業化可能性調査、プロジェクト組成といった上流工程における「専門知識の提供」に特化している。
フランス国家観光戦略の全体像:Plan Destination France
FTIを理解するためには、まず本制度が組み込まれている国家レベルの戦略的枠組みである「Plan Destination France」を把握することが重要である。「Plan Destination France」は、2021年11月に発表され、フランス観光の未来像を規定し、FTIに戦略的役割を与える上位概念として機能している。
この戦略は、観光客数の追求から、観光の質、環境・社会への配慮、そして経済的な付加価値の向上へと、政策の重心を大きく転換させるものである。具体的には、環境負荷の低減、観光による収益の地方へのより公平な分配、そして気候変動やパンデミックといった外部ショックに対する観光産業のレジリエンスの強化が、重要なテーマとして掲げられ、以下の5つの戦略的軸と、それに紐づく21の具体的な施策によって構成されている 。
- 人材の確保・再確保:観光業の魅力を高め、人材不足を解消する。
- セクターのレジリエンス強化と質の向上支援:企業の投資を促進し、競争力を強化する。
- フランスの観光資産の価値向上と発展:新たな観光資源を開発し、既存資産を再生する。
- 持続可能な観光への転換の加速 :環境負荷を低減し、グリーンな観光モデルを推進する。
- デスティネーション・フランスの魅力向上とプロモーション:国内外への情報発信を強化する。
FTIは、主に軸3「フランスの観光資産の価値向上と発展」を具現化するためのツールである。その役割は、地方自治体などが持つ潜在的な観光資産を、現代の観光客のニーズに合ったものにアップデートするための専門的知見を提供することにある 。
France Tourisme Ingénierie:大規模プロジェクトへの専門的支援
FTIの目的は、以下の3点に整理される。
- 国際化への適応
観光提供を国際化の課題に対応させるため、特にイノベーションの導入や持続可能な開発要件への適応を加速させる。 - 観光フローの分散
現在および将来の旅行者の流れを、空間的・時間的により適切に分散させる。 - 国際観光収入の拡大
フランスの国際観光収入を年間600億ユーロ規模に引き上げる。
第2の目的は、パリなどの主要都市や特定の観光地に観光客が集中する「オーバーツーリズム」の問題を緩和し、これまで十分に観光客を誘致できていなかった地方へと人の流れを誘導することを目指すものである。これは、観光による経済的恩恵を国土全体に広げ、地域間の経済格差を是正するという狙いもある。第3の目的は、単なる観光客数ではなく、一人当たりの消費額や滞在日数を増やすことで、観光産業の収益性を高めることを意図している。
支援の核心:「Ingénierie(エンジニアリング)」とは何か
FTIの最大の特徴は、その支援が直接的な補助金の形ではなく、「Ingénierie」の提供、すなわち高度な専門的・技術的コンサルティングにある。これは、プロジェクトの初期段階に介入し、プロジェクトの成功確率を高めることを目的としている。
具体的に「Ingénierie」がカバーする領域は多岐にわたる。
- 戦略策定支援:地域の特性や市場の動向を分析し、どのような観光開発を目指すべきかの方向性を定める。
- 事業機会・実現可能性調査 :プロジェクトの市場性、技術的実現可能性、法的・財務的側面を評価する。
- プロジェクト構築・組成:事業計画の策定、資金調達計画の立案、関係者間の合意形成などを支援する。
このアプローチは、比喩的に言えば「魚を与える」のではなく「魚の釣り方を教える」プログラムである。
3つの主要プログラム
FTIは、具体的なテーマに沿った3つの主要なプログラムを通じて、その支援を展開している 。
FTI Projets structurants(構造化プロジェクト)
FTI Projets structurants(構造化プロジェクト)は、地域の観光構造に長期的かつ大きな影響を与える可能性のある、大規模なプロジェクトの立ち上げと具体化を支援するものである 。特定のテーマに縛られず、地域の発展に不可欠と判断される革新的なプロジェクトが対象となる。
FTI Rénovation des stations de montagne(山岳リゾートの改修)
FTI Rénovation des stations de montagne(山岳リゾートの改修)は、気候変動による積雪量の減少や不動産老朽化といった深刻な課題に直面するフランスの山岳リゾートを再生することを目的とするプログラムである。特に1960〜70年代に建設されたレジャー用不動産(コンドミニアム等)を対象に、断熱改修やエネルギー転換を支援し、不動産価値の向上と「コールドベッド」問題の解消を目指している。この取り組みは、フランス政府の山岳地域振興計画とも連携し、スキー依存型から四季を通じて魅力的な滞在を提供する持続可能なリゾートへの転換を推進する政策である。
支援は単に技術的改修にとどまらず、以下のような「8つの横断的テーマ」を設定し、ガバナンス・法制度・財政・技術を横断的に扱う仕組みが特徴である。
- プロジェクトガバナンスの構築
- 改修技術に関する専門支援
- 法的・制度的専門知見の提供
- インセンティブ制度の創設
- 規制的措置(強制的手段)の検討
- 新たな経済モデルの設計
- 知識・モニタリングツールの開発
- テーマ別ワーキンググループの形成
FTI Réinventer le patrimoine(遺産の再発明)
FTI Réinventer le patrimoine(遺産の再発明)は、歴史的建造物、産業遺産、文化的景観など、未活用のまま残されている遺産を新たな観光資源として再生することを目的としたプログラムである。単なる保存や修復にとどまらず、現代的な用途や革新的なビジネスモデルを導入することで、遺産に新たな命を吹き込み、地域の魅力と経済活力を高めることを狙っている。
このプログラムは2020年に創設され、Banque des Territoires(地域銀行)、Agence nationale de la cohésion des territoires(地域結束国家庁)、Atout France(フランス観光開発機構)が文化省と連携して運営している。公的主体と民間事業者の協働を促進し、遺産の保存と経済的持続可能性を両立させる枠組みを構築している点が特徴である。
まとめ
一般的に、観光関連の補助金制度の多くは「ハード整備」や「コンテンツ造成支援」に偏りがちである。専門家による伴走支援が設けられている場合であっても、その多くは補助金獲得後の単発的な支援にとどまり、対象が特定のコンテンツに限定されるケースが少なくない。さらに、支援期間が短いために腰を据えた取組が難しく、複数分野の専門家がチームを組んで横断的に支援を行う体制も十分に整備されていないのが現状ではないだろうか。
これに対し、FTIは、単なる補助金という金銭的な支援にとどまらず、その前段階において専門知識の提供を制度として組み込んでいる点に大きな特徴がある。プロジェクトの構想段階から、市場分析、事業計画策定、資金調達戦略といった高度な専門知識を投入することで、計画そのものの質を高めている。
