はじめに
一般的に事業計画の策定において、KPI(重要業績評価指標)やKGI(重要目標達成指標)といった成果指標の設定は欠かせないものであり、これは事業規模に関わらず全てのプロジェクトにおける定石といえます。しかしながら、適切な成果指標を定めたからといって、事業が必ずしも順調に進むかというとそうではないケースもあるあるのではないでしょうか。特に、中長期的な計画が必要とされる事業や、多様な関係者が複雑に関与する事業において、その傾向が強いかもしれません。
筆者が携わるような観光地域づくり計画においても同様の課題は感じられます。数値目標のみでは、関係者の能動的な動きや持続的な熱量を生み出しにくいケースもあります。本稿では、成果指標を支え、事業の推進力をつけていくために不可欠な理念体系、具体的には理念(Philosophy)とコミットメント(Commitment)に焦点を当てたいと思います。
※コミットメントは日本語では誓約と訳されるが日本においても「コミットメント」が一般的に用いられるため、本稿でも「コミットメント」を用います。
観光地域づくりにおける計画の特徴
観光地域づくり領域には、その性質上、計画を推進するための特徴的な課題がいくつか存在すると考えられます。
まず、対象範囲の広さ、時間軸の複雑性と関係者の多様性が挙げられるでしょう。観光地域づくりにおいては、しばしばその中長期的なアウトカムとして、地域の環境や文化、社会への正のインパクトを求めます(そしてこの傾向は一般的となりつつある)。しかしながら、事業収益の創出と比較すると、環境保全や文化継承、あるいは地域社会にインパクトがもたらされるまでは長い時間を要します。また、行政、観光関連事業者、一次産業者や地域活動団体など、さまざまな関係者が存在し、これら全員の意識のベクトルを合わせることは容易ではありません。
次に、成果指標の測定コストと意義の乖離が挙げられます。KPIの測定一つをとっても、データ収集や分析には時間的・費用的コストがかかります。前述のように成果が見えにくい状況下では、「なぜコストをかけてまで測定するのか」という理由が不透明になり、形骸化するケースも少なくありません。
ここで必要となる要素のひとつが、「なぜ測るのか」「何のために行うのか」という根本的な哲学です。多様な関係者と共鳴・共創しながら事業を推進するためには、地域側の意思の中核となる確固たる理念と、それを実現するための強固な誓約(コミットメント)が不可欠だと感じます。これらが存在して初めて、短期的な利益に留まらず、中長期的なゴールへと力強く導くことが可能となるのではないでしょうか。
理念とコミットメントの役割
理念(Philosophy)
理念は地域側の関係者皆が共鳴・共感するような言葉であり、疑問や迷いが生じた際にも立ち返ることのできるものであるといえます。ここでは、組織論における「ビジョン」や「コア・イデオロギー」も、この広い意味での「理念」の一部として捉えたいと思います。筆者は当該分野の専門ではありませんが、理念の重要性は、組織論や戦略経営の分野において、複数の研究によって裏付けられているようです。代表的なものを以下に提示します。
1. ビジョナリーカンパニー研究(Collins & Porras, 1996)
“
Truly great companies understand the difference between what should never change and what should be open for change, between what is genuinely sacred and what is not. This rare ability to manage continuity and change – requiring a consciously practiced discipline – is closely linked to the ability to develop a vision. Vision provides guidance about what core to preserve and what future to stimulate progress toward.”「真に偉大な企業は、決して変えてはならないものと変化に開かれているべきものとの違い、真に神聖なものとそうでないものとの違いを理解している。この継続性と変化を管理する稀有な能力は、意識的に実践される規律を必要とし、ビジョンを策定する能力と密接に結びついている。ビジョンは、何を核として保持し、どのような未来に向けて前進を促すべきかについて指針を提供する。」出典: Collins, J. C., & Porras, J. I. (1996). Building Your Company’s Vision. Harvard Business Review, September-October 1996, 65-77.
2. 学習する組織における共有ビジョン(Senge, 1990)
理念の4つの役割
これらの学術的知見も踏まえながら、観光地域づくりにおける理念の役割を以下の4つに整理してみました。
- 測定活動の正当性の提示 – コストをかける理由の明確化
- 関係者の共通言語の創出 – 多様なステークホルダーの協働基盤。一部の観光事業者だけのものではなく、「自分ごとの取り組み」であることを示す。
- 長期的視点の担保 – 短期的利益と長期的持続可能性のバランスを保つ。特に、経済効果に比べて成果の発現に時間を要する社会・環境・文化領域において、ブレない軸となる。
- 価値判断の基準 – 何を優先し、何を制限すべきかの指針。ポリシーとガイドラインの基盤となる。
コミットメント(Commitment)
理念に基づくコミットメントは、関係者の具体的な行動を規定します。ここで言うコミットメントとは、単なる「賛成・同意」ではなく、プロジェクトに関わるすべての関係者が、合意した目標の達成に対して主体的に責任を持ち、成果に対して当事者意識をもって積極的に関与し、必要な行動を継続する意識(強い表現で言うと覚悟的なもの)のことを指します。コミットメントについても、組織行動学・心理学、プロジェクト管理理論、契約理論・経済学などの各学問分野において、推進のためのコミットメントの重要性が語られているようです。
組織行動学(Meyer & Allen, 1991)
“
Commitment, as a psychological state, has at least three separable components reflecting (a) a desire (affective commitment), (b) a need (continuance commitment), and (c) an obligation (normative commitment).”「コミットメントは心理的状態として、少なくとも3つの分離可能な要素を持つ:(a)組織への愛着に基づく望み(情緒的コミットメント)、(b)離脱コストに基づく必要性(継続的コミットメント)、(c)義務感に基づく責任(規範的コミットメント)」
出典: Meyer, J. P., & Allen, N. J. (1991). A three-component conceptualization of organizational commitment. Human Resource Management Review, 1(1), 61-89.
社会的交換理論(Blau, 1964)
“Social exchange… is limited to actions that are contingent on rewarding reactions from others… Exchange behavior means voluntary actions of individuals that are motivated by the returns they are expected to bring.”「社会的交換とは、他者からの報酬的反応に依存する行為に限定される…交換行動とは、期待される見返りによって動機づけられた個人の自発的行為を意味する」
出典: Blau, P. M. (1964). Exchange and Power in Social Life. New York: John Wiley & Sons.
プロジェクト管理(PMBOK)
取引コスト理論(Williamson, 1985)
世界の事例:理念とコミットメントの具体化
これまで述べてきたことを表す事例を2つ取り上げたい。
ニュージーランド「Tiaki Promise」
理念の構造
Tiakiとは、マオリ語で「人々、場所、文化を守ること」を意味します。
“
New Zealand is precious, and everyone who lives and travels here has a responsibility to look after it. The Tiaki Promise is a commitment to care for New Zealand, for now and for future generations.”
「ニュージーランドはかけがえのない場所であり、ここに住み、旅する全ての人がそれを守る責任を持つ。Tiaki Promiseは、今、そして未来の世代のためにニュージーランドを守るという誓約である」
出典: Tiaki Promise Official Website. https://www.tiakinewzealand.com/
3つの誓約と測定
「大地・自然を守る」「安全に旅をする」「文化を尊重する」という3つの具体的な行動誓約が提示されています。
この理念があるからこそ、環境負荷や文化保全といった多様な価値を測定する意義が明確となるとも考えられます。
“WHILE TRAVELING IN NEW ZEALAND I WILL1. CARE FOR LAND, SEA AND NATURE, TREADING LIGHTLY AND LEAVING NO TRACE2. TRAVEL SAFELY, SHOWING CARE AND CONSIDERATION FOR ALL3. RESPECT CULTURE, TRAVELLING WITH AN OPEN HEART AND MIND”
1. 大地、海、自然を守り、そっと歩み、痕跡を残さない2. 安全に旅をし、すべてに配慮と思いやりを示す3. 文化を尊重し、開かれた心と精神で旅をする
出典: Tiaki Promise Official Website. https://www.tiakinewzealand.com/
ハワイ「Aloha ʻĀina」
理念の構造
Aloha ʻĀina(アロハ・アイナ)は「土地への愛」を意味するハワイの伝統的価値観。ʻāina(アイナ)は「養うもの」を意味し、土地が人を養い、人が土地を守るという相互依存関係を示しています。
“Aloha ʻāina is a concept developed in Hawaiʻi regarding the stewardship of land and natural resources, with values deeply rooted in Hawaiian culture and tradition. In the mother tongue, ʻāina refers to that which feeds, that being the land and its produce, as well as the sea and the all the things from it we can collect and harvest to sustain our selves with. Aloha, a word often reduced to a simple greeting, is a word which propounds a deep sense of connection and acknowledgement of presence.”
「Aloha ʻĀinaは、ハワイで発展した土地と自然資源の管理に関する概念であり、ハワイ文化と伝統に深く根ざした価値観である。ハワイ語において、ʻāina(アイナ)とは「養うもの」を指し、それは大地とその産物、そして海と、そこから収穫し自らを養うことができる全てのものを意味する。Aloha(アロハ)は、しばしば単なる挨拶に矮小化される言葉だが、深い繋がりと存在の承認を表す言葉である。」
出典: U.S. National Park Service. (2021). Hawaiian Values: Aloha ʻĀina. https://www.nps.gov/articles/000/values-aloha-aina.htm
戦略への実装と測定
ハワイ州観光局(HTA)は、2020年に出されたコミュニティ主導の宣言「ʻĀina Aloha Economic Futures」の原則に呼応し、戦略計画の中心に「Mālama Kuʻu Home(愛する我が家を想う)」を据えました。 これにより、例えば以下のようなプログラムが単なる助成金ではなく、理念実現のための投資として位置づけられていると捉えられます。
- Kūkulu Ola Program: ハワイ文化の継承活動への支援
- Aloha ʻĀina Program: 自然資源の再生プロジェクトへの投資 ここでは、投資額に対する経済リターンだけでなく、コミュニティの幸福度や文化の継承度合いが重要な指標として扱われている。
おわりに
本稿では、観光地域づくりにおいて成果指標だけではなく、その根底に理念(Philosophy)とコミットメント(Commitment)があることによって、その推進力を生み出すことができるのではないかと言うことを述べました。
理念は、多様なステークホルダーをつなぐ共通言語ともいえ、短期的には表面化されにくい意義や価値を埋没させずに、計画推進とともに導いていく役割も果たします。そしてコミットメントは、その理念を行動へと変換させる役割を持ち得ます。ニュージーランドやハワイの事例からもそうした役割が確認されたのではないでしょうか。
理念・コミットメントに基づく事業推進が、中長期的にも地域への裨益(地域社会、環境や文化などへも波及)をもたらし、そしてそれが地域が大切にしたい価値をさらに育てる、そして更なるコミットメントの強化と事業推進力の向上へとつながっていく。こうした循環は、”持続可能な観光地域づくり”と言われる中でも重要なのではないでしょうか。
参考文献
Collins, J. C., & Porras, J. I. (1996). Building Your Company’s Vision. Harvard Business Review, September-October 1996, 65-77.
Senge, P. M. (1990). The Fifth Discipline: The Art and Practice of the Learning Organization. New York: Doubleday.
Hoe, S. L. (2007). Shared vision: A development tool for organisational learning. Development and Learning in Organizations, 21(3), 12-13.
Zasa, F. P., Verganti, R., & Bellis, P. (2023). Developing a shared vision: strong teams have the power. Journal of Business Strategy, 44(6), 415-424.
Meyer, J. P., & Allen, N. J. (1991). A three-component conceptualization of organizational commitment. Human Resource Management Review, 1(1), 61-89.
Blau, P. M. (1964). Exchange and Power in Social Life. New York: John Wiley & Sons.
Williamson, O. E. (1985). The Economic Institutions of Capitalism. New York: Free Press.
Project Management Institute. A Guide to the Project Management Body of Knowledge (PMBOK® Guide).
Tiaki Promise Official Website: https://www.tiakinewzealand.com/
U.S. National Park Service. (2021). Hawaiian Values: Aloha ʻĀina. https://www.nps.gov/articles/000/values-aloha-aina.htm
Hawaii Tourism Authority. (2020). Hawaii Tourism Authority Adopts Aina Aloha Declaration. https://www.hawaiitourismauthority.org/
Hutchison, B. (2021). Advancing a regenerative tourism system in New Zealand: An analysis of an Indigenous tourism operation and the Tiaki Promise destination pledge. Master’s thesis, Massey University.
Tourism Industry Aotearoa. (2023). Tourism 2050: A Blueprint for Impact. Retrieved from https://www.tia.org.nz/