観光地や大都市における不動産投機の問題:スイスにおける「コールドベッド」問題への対策事例から

はじめに

高級マンションの投機的取得は、日本において深刻な社会問題として顕在化しつつある。特に千代田区などの都心部では、富裕層や外国人投資家による購入が急増し、その多くが実際には利用されないまま空室化している事例が報告されている。これにより住宅が「居住のための空間」ではなく「資産運用の対象」としてのみ扱われ、地域社会の空洞化や住宅価格の高騰といった副作用が顕著になりつつある。

こうした現象は、欧州アルプスの観光地で古くから問題視されてきた「コールドベッド」現象と本質的に同様の課題を内包している。本記事では、スイスを中心に展開されてきたコールドベッド対策の大枠を整理する。

「コールドベッド」現象とは

「コールドベッド(kalte Betten)」とは、主に観光地にあるセカンドハウス(別荘)が年間の大半で空き家となり、「冷たいベッド」のように人が宿泊せず放置されている状態を指す。この現象は、十分な土地利用規制がないまま、1960年代後半から1970年代にかけてスイスでレジャー目的の別荘開発が急増したことに端を発し、類似の問題はドイツ・オーストリア・南チロルなどアルプス圏各国でも「別荘問題」として知られている。

セカンドハウスの乱開発と利活用の低さによるコールドベッド現象は、様々な社会・経済的問題を引き起こすと指摘されており、その主な影響としては以下が挙げられる。

  • 地域社会と人口動態への影響:
    居住実態のない住宅が増えすぎると、通年で暮らす常住人口が減少し、地域社会の空洞化が進む。アルプス山岳地域では観光シーズン以外に町が「死んだようになる」ことも多く、日常的なコミュニティ活動が維持しにくい状況となる。
  • 住宅市場・社会住宅への影響:
    富裕層の別荘需要により人気観光地の不動産価格や地価が高騰し、地元の中低所得層が住宅を取得・賃借できなくなる問題が深刻となる。
  • 地域経済への影響:
    別荘開発は建設業や不動産業には一時的な潤いを与えるが、建物が完成すると普段は人が住まないため地元にもたらす日常的な経済効果は小さい。コールドベッド現象が進んだ地域では、地元の小売店や飲食店、学校や郵便局などのサービス維持が難しくなるケースもある。
  • 自治体財政への影響:
    自治体はピークシーズンの観光客・別荘客に対応できる上下水道・道路・ゴミ収集などのキャパシティを整備する必要があるが、その維持費用は減少した住民が通年で負担することになり、財政のひっ迫要因となる。

スイスにおける連邦レベルでの対応

スイスではこのコールドベッド問題に対処するため、過去数十年にわたり様々な政策手段が講じられてきた。その中でも代表的なのが、外国人による不動産購入規制法(通称レックス・コーラー法)および別荘建設規制法(通称レックス・ウェーバー法)である。それぞれの法律について、簡単に説明すると以下の通りとなる*。
*それぞれの法律の詳細は、別記事にて解説予定

外国人による不動産購入規制法(通称レックス・コーラー法)

この法律は海外在住者がスイス国内で別荘などの不動産を購入することを制限するもので、制定当時急増していた外国資本によるリゾート物件買い漁りと、それに伴う別荘の空洞化現象を抑制する狙いがあった。類似の外国人土地取得規制はEU諸国では市場統合の観点から撤廃されたが、スイスは非EUである利点を活かしこの法律を存続させている。

別荘建設規制法(通称レックス・ウェーバー法)

この法律では、すでに別荘割合が20%を超える市町村では原則として新規の別荘建築許可が一切下りなくなり、20%未満であっても新築により20%超に達してしまう場合は許可を出せないと定められた。

なお、新規別荘建設の原則禁止に加えて「観光客向けに常時提供される宿泊施設」として運用される住宅については例外的に許可を認める条項があり、具体的には、所有者が自分のためではなく短期貸出専用に提供する住宅(例えばホテルやアパートメントホテルの一部として運営されるコンドミニアム型物件など)は「観光目的で経営される住宅」とみなされ、20%枠を超える自治体でも新築が可能となる。

おわりに

スイスにおいては、レックス・コーラー法やレックス・ウェーバー法といった立法措置により、別荘の乱開発や外国人による投機的購入が制度的に抑制されてきた。他方、日本ではこれまで不動産取引に対する規制が緩やかであったが、千代田区における転売規制や複数戸購入制限の要請、さらには空室税の導入を含む国政レベルでの議論など、投機的取得に一定の歯止めをかけようとする動きが始まっている。

住宅は本来、人々の生活を支える基盤であるにもかかわらず、投資商品のみに矮小化されることは、都市の持続可能性を著しく損なう危険を孕む。日本の都市部における不動産投機の問題を看過すれば、スイスの観光地で顕在化した「コールドベッド」現象が形を変えて再現されかねない。今後は住宅の社会的機能を確保するため、規制・課税・地域ガバナンスを組み合わせた包括的な政策対応が不可欠である。

本コラム投稿者

池知貴大
IKEJI Takahiro

豪州の大学院でデスティネーション・マネジメントを学んだ後、都内のシンクタンクで観光地のまちづくりに携わる。現在は弁護士とシンクタンクにおける研究員として、文化・観光・まちづくりが交差する領域をサポート。