観光地で規制が求められる背景
世界的な観光客の急増に伴い、観光はもはや純粋な市場取引だけでは完結しない活動となっている。特に、観光地では公共財的な要素をどのように供給するか、外部性にどのように対処するかという課題が大きくなっており、これらの課題は民間の自由競争に委ねるだけでは解決できない。代表的な例として以下のような現象が挙げられる。
- オーバーツーリズム:
観光客数が地域の受け入れ容量(carrying capacity)を超えて増えすぎることで、地域住民の生活や環境に深刻な悪影響が及ぶ現象。景観の悪化、ゴミ問題、交通渋滞や公共サービスへの過剰な負荷など、観光客の増大が地域の持続性を脅かすケースが生じている。 - 不動産開発によるジェントリフィケーション:
観光地やリゾートエリアへの過度な投資・開発は、不動産価格や地価の高騰を招き、地元住民がその地域に住み続けられなくなる事態を招く恐れがある。不動産価格の上昇により地元の中低所得層が住宅を取得・賃借できなくなれば、地域の個性や文化的な資産が失われるといった負の影響も生じる得る。これらは地域固有の魅力(公共財的な価値)の喪失につながり、長期的には観光地としての価値も損なわれかねない。
これらの課題は、市場メカニズムだけでは是正が難しい市場の失敗の典型であるため、適切なルール(規制)等によって観光行動や開発行為をコントロールし、外部不経済を抑制すること等が求められる。実際、世界の大都市や観光地では観光税の導入や用途規制、開発規制など様々な制度設計によってオーバーツーリズムや不動産投機、ジェントリフィケーションへの対策が進められている。
規制による権利制約と合憲性の問題
しかし、規制を導入する際には慎重な検討が必要である。なぜなら、多くの規制は私人(個人や企業)の権利や自由を制約する性質を持つからである。観光分野の規制で典型的なものとして、以下のような権利・自由が問題となりやすい。
- 財産権:
地域の不動産利用を制限する規制(例:別荘の新規建築禁止や空き家への課税)や、土地・建物の取得を制限する施策は、憲法29条で保障された財産権の制限に当たる可能性がある。 - 営業の自由:
観光客向けの事業活動を制限する規制(例:特定業種の出店禁止、民泊営業の許可制)は、憲法22条が保障する職業選択の自由・営業の自由の制限に当たる可能性がある。
日本国憲法下では、国や自治体による規制がこれら国民の権利を制限する際、その規制が憲法上許容されるかが常に問われる。実際に、1975年の最高裁判決(薬事法距離制限事件)では、「一部地域における薬局等の乱設による過当競争のために一部業者に経営の不安定を生じ、その結果として施設の欠陥等による不良医薬品の供給の危険が生じるのを防止すること」との立法目的自体は「公共の利益」と判断しつつ、その因果関係に確実な根拠がなく必要性・合理性を欠くとして、薬局の新規開設を距離制限する規定を違憲と判断した。このように、規制が何のために必要で、どの程度の効果が期待できるのかという事実的根拠が乏しい場合、法的リスクは高まる。
加えて、自治体が独自の条例で観光規制を行う場合には、国の法律との適合性(法律による権限の範囲内か、既存法令との抵触がないか)も検討する必要がある。
データ(立法事実調査)の重要性
規制を正当化するための「事実の裏付け」は、法律用語で「立法事実」とも呼ばれる。立法事実とは、法律や条例を制定する根拠となる社会的・経済的・文化的な一般事実のことであり、規制の背景事情を示す客観的なデータや調査結果を指す。規制の必要性や妥当性が最終的に裁判の場で審査される際には、この立法事実が十分に示されているかが大きなカギを握る。
規制に先立って立法事実をしっかり調査し整理しておくことには、少なくとも次のような意義があると言える。
- 規制の合目的性・必要性を明確にできる:
データや具体的事例によって「どのような問題が起きており、なぜ公的介入(規制)が必要なのか」を説得力をもって示せる。これにより規制の目的が正当な公共利益に基づくことが明らかになり、利害関係者や市民への説明責任も果たしやすくなる。 - 規制手段の合理性を裏付ける:
調査によって問題の原因やメカニズムがデータで把握できれば、その問題解決に効果的な手段も論理的に導き出しやすい。規制の範囲や強度が「必要最小限」にとどまっているかどうかも、客観的な根拠をもって示すことが可能となる。これは裁判所が比例原則(手段が目的に対して適切かつ必要最小限か)を判断する際にも重要なポイントである。 - 規制の立法過程に正当性を持たせる:
十分なエビデンスに基づく政策立案プロセスそれ自体が、裁判で尊重される傾向がある。裁判所は社会的・専門的な事実調査を自ら行うことはできないため、立法府や行政が行った綿密な調査と分析のプロセスに信頼を置くのである。裏返せば、事前調査を怠った規制は恣意的なものと見做され、裁判の場でも不利になりかねない。
法律の専門家に事前相談する際にも、具体的なエビデンスが示されていなければ単に「違憲のリスクがあるのではないか」との指摘で終わってしまい、実質的なアドバイスにまでいかない可能性が高い。逆に、十分な事実調査に裏打ちされた規制案であれば、法的リスクを抑えつつ実効性の高い制度設計が可能になる。
事例:アムステルダム市の規制に見る立法事実の役割
立法事実調査が観光地経営に関連した規制の適法性確保に寄与した実例として、オランダ・アムステルダム市のケースが参考になる。アムステルダム市では2010年代、歴史的中心部で観光客向けの土産物店やチケット売り場などが急増し、地域の商業構造が単調化する問題が生じていた。実際、市の調査によれば中心街の一部では2006年から2016年の10年間で観光客向け店舗の数が約49%増加し、その結果、伝統的な専門店や地元住民向けの生活必需品店が次々と観光客相手の画一的な店舗に置き換わっていた。
こうした状況を受けて、アムステルダム市議会は2018年に「商業多様性中心地区」規制と称する都市計画上の用途規制を導入した。これは簡単に言えば、中心部の特定区域において観光客を主な対象とする新規店舗の出店を禁止する措置である。対象業種には、土産物店や観光ツアー窓口、ミニスーパー(観光客向けの小規模食料雑貨店)、観光グッズ専門店などが含まれ、それらの新規開業が許されなくなった。既存の同種店舗については直ちに営業をやめさせるのではなく、徐々に業態転換や自然減を促すことで、長期的に地域の商業多様性を回復させるという狙いがある。
この規制は観光産業の一部に大きな制約を課すため、導入後に一部事業者から訴訟で争われた。しかし2020年4月、オランダ最高行政裁判所に相当する国家評議会(Raad van State)は本規制の適法性を認める判決を下している。判決では、以下のポイントが指摘された。
- 差別的でない中立的な規制であること:
規制は特定の国籍や特定の事業者のみを排除するものではなく、あくまで事業形態に着目した一般的な基準によるもので恣意的な差別を含まない。実際、本措置は地元オランダ人経営であっても「観光客向け」の新規店舗であれば禁止対象となる中立的なものであり、この点で欧州連合のサービス指令にも反しないと判断された。 - 公共目的の正当性と必要性:
アムステルダム市が掲げた規制目的は「都市環境の保護」、換言すれば商業の多様性維持を通じて都市の居住性・生活環境を守ることであり、これは観光地中心部の健全な発展にとって重要な公共の利益と認められた。さらに、その目的が単なる机上の空論でなく現実の問題に根差していることは、市が事前に公表した調査報告書(2017年)により裏付けられていた。報告書が示す「観光客向け単一業態の急増で日常サービスが不足し、居住環境に悪影響が出ている」という具体的データと分析は合理的なものと裁判所も評価しており、規制の必要性(問題解決のためどうしても措置が必要か)を支える根拠となった。 - 規制手段の比例性(妥当性):
規制内容が目的達成のために適切で効果的であり、かつ必要最小限の範囲にとどまっているかも審査された。裁判所は、本規制が都市機能のバランス回復という目的に照らして合理的に必要な範囲に限定されている点を肯定した。具体的には、禁止対象とした業種の選定には市の監査局による詳細分析が反映されており、新規出店禁止という手段も小売多様性の確保という目的に資することがデータで示された。さらに規制範囲は中心部の一定地区に限られ、既存店舗の営業権も直ちには奪わないなど、過度に広範な措置ではないことが挙げられた。市は併せて中心部以外への観光客分散策や、新規ホテル建設の禁止など総合的な政策パッケージを講じており、本規制だけが突出して厳しすぎるとはいえない点も考慮された。以上から裁判所は、本規制が目的に対して適合的で、効果が合理的に期待できる上、他に緩やかな手段では十分に目的を達成できないことを理由に、必要且つ相当な措置であると結論づけた。
このアムステルダムの事例は、具体的な調査が規制の必要性・比例性を論じる上で不可欠であることを示している。事前に実施した詳細な調査によって問題の深刻さと規制の有効性を客観的に示したことで、規制の適法性が裁判の場でも認められたのである。
おわりに
観光地の持続可能な発展のためには、適切な規制の導入が不可欠な場合もあり、その際には「データにもとづく政策立案」の姿勢が何より重要である。地方自治体の政策担当者にとって、立法事実の調査・分析に時間と労力を割くことは地味なプロセスに思えるかもしれない。しかし上述のとおり、その積み重ねが規制の説得力と合法性を担保し、ひいては地域の将来を守る確かな土台となる。
事実に根差した規制であれば、裁判所もその立法目的の合理性や手段の相当性を尊重しやすい。一方、思いつきや思い込みだけで作られた規制は、裁判で持ちこたえられないばかりか、現実の問題解決にもつながらないだろう。
