過去の記事でも、観光の単なる収益機能だけではなく、地域社会に対するさまざまな可能性について述べてきました。例えば、シビックプライドの醸成、地域の文化や自然資本に対する理解促進、保全活動の後押しといった正のインパクトも十分にもたらし得ます。しかしながら、こうした効果は放っておいて生まれるものではありません。というよりも、認知されないまま埋もれてしまう可能性が大きい、といった方が正しいかもしれません。
なぜそうなのか。そこには二つのハードル、つまり観光による影響の「対象範囲の限界」と「時間軸のずれ」があるのではないかと考えています。本稿では簡単にではありますが、その2点について考えてみたいと思います。
影響の対象範囲の限界
観光は、地域のあらゆる資源を体験価値へと転換します。しかし、そこには構造的な限界も存在します。
- 観光収入の相対的な位置づけ:これは「観光による収益」が、誰にとっての収益なのかという立場の違いに関わる観点です。しばしば言及される点ですが、観光を主業とする事業者にとって、観光収入は売上ポートフォリオの中でも重要な柱となります。一方、農林水産業やものづくり産業といった他産業の事業者にとっては、臨時的な副収入の域を超えない場合も少なくありません。観光サプライチェーンの構造から見ても、体験の素材を提供する事業者に落ちる売上は小さくなりがちです。
- 負担の非対称性(保全コストの偏り):文化や自然を観光資源として活用する一方で、その維持管理(山道の整備、安全対策、伝統行事の継承など)の負担は、現場の文化保持者や地域住民にのしかかる。そうしたケースを生み出してしまう可能性もあります。
生産現場の体験提供が農家や漁業者の繁忙期に重なれば、本業の妨げになってしまう場合もあるでしょう。同じ時間を本業に充てた方が収入は大きくなる、というケースです。資源として消費されるものの、時間当たりの収入は大きくならず、かつ保全コストは還元されない。そうした、望ましいとは言えない需給関係が築かれてしまいます。
それならば観光活用などしなければよいのではないか、という意見もあろうかと思います。しかし、顧客が価値を感じるモノ・コトが、各地域ならではの営みや文化を反映したものであることもまた事実です。そうした顧客のニーズに観光事業者が応えていくのは、ごく自然な流れなのです。であればこそ、この歪みのある状態を解消していく仕組みが求められるのではないでしょうか。
時間軸のずれ
もう一つの課題は、観光が持つ「時間軸」の特性です。観光による直接的な収益は、とても短期的かつ流動的です。一方で、地域の文化や自然を保全し、次世代へ継承していくためには、少なくとも数年、人材育成に至ってはそれ以上の年月を要します。
こうした短いスパンで回転していく収入を、いかに「育てる」視点での投資へと繋げていくか。中長期的な視点に立った資金循環の設計が求められると言えます。
やはり「生きた文化」が重要になる
そもそも、なぜ地域社会や環境・文化への寄与が必要なのか。持続可能な観光の文脈では当たり前の定石ともなっていますが、この問いは、顧客に対する体験価値という観点からも説明することができます。
先にも少し触れたとおり、来訪者が求める体験において重要な要素の一つが、その土地ならではのモノ・コトです。「異文化」と表現されることもありますが、それは単に「異なる文化」ではありません。その地域の地勢・気候・自然環境との相互作用のなかで生まれ、人々の適応として蓄積されてきた結果としての文化。それが景観をも生み出し、総体としての魅力を形づくっている。そう捉えることができるのではないでしょうか。
こうした本物性、さらにはそれが今もなお息づいていること、そしてそのライフスタイルに地域の人々自身が豊かさを感じ、楽しみ、誇りに思っている、その姿にある種の憧れを感じることが、訪れる魅力へと繋がっていくのではないかと、筆者は捉えています。
つまり、価値の源泉を生み出す土壌そのものを耕していく。そこへの投資が、中長期的には観光価値となって返ってくるのです。だからこそ長期的な視点が必要であり、そのための仕組みや仕掛けを意図的に設けていくことが重要になります。この「対象範囲の限界」と「時間軸のずれ」という二つのハードルは、いずれもこの一点に収斂していくように思います。
では、どう対応すればよいのか
近年、複数の国や地域で取られている方法の一つが、観光収入の一部を地域の社会・環境・文化資本へ還元するという考え方です。
アウトドアブランドのパタゴニアは、企業の立場からこの発想を体現した先駆的な事例としてよく知られています。同社は1985年から売上の1%を自然環境の保護・回復のために拠出し続け、2002年にはこの取り組みを他企業にも広げるネットワーク「1% for the Planet」を創設しました[※1]。2022年には創業者一族が全株式を環境保護団体等へ譲渡し、「地球が唯一の株主」という理念を制度にまで落とし込んでいます[※2]。
観光分野でも多くの地域が、こうした考えを取り入れています。ブータン王国も有名な事例だと思いますが、同国は1974年から外国人観光客に「持続可能な開発料(SDF)」を課し、その収入を自然環境や文化の保全、次世代のためのプロジェクトへと充当してきました。「高付加価値・少人数」という原則のもとで観光と保全の両立を図る、いわば国家規模での還元の仕組みと言えるでしょう[※3]。
現在は、日本国内でも複数の地域で同様の考えと仕組みへの、素晴らしい取り組みが見られます。
こうして基金や財源の形で観光収入をプールできれば、先述の「時間軸のずれ」に対応できるとともに、土地ならではの魅力的な体験の源を生み出している事業や産業そのものを強化する施策にも充てていくことが可能になります。
ただし、これが簡単ではないこともまた事実です。中長期的な取り組みを支えるには、関係者の間で理念構造を共有しておくことが欠かせません。仕組みだけでは動かない、この点については、以前にも触れたところです。
もう一つの糸口は、顧客体験価値の底上げです。以前サービス・ドミナント・ロジックについて触れましたが、観光は原価の積み上げではなく、顧客の体験価値によって値付けをすることができます。このロジックを活かして体験の付加価値を高め、それを体験の源泉の提供元にも適切に還元していく。そうした視点を持ちながら観光体験を創造していくことも、有効なアプローチになるのではないでしょうか。
もちろん、これ以外の方法もあるでしょうし、実行主体の性質によって適した形も異なってきます。だからこそ、こうした事例を集めながら、観光による地域の資源・経済・地域社会の好循環をいかに達成していけるのかを、今後も模索していく必要があると考えています。
観光地域のマネジメントにおいても、持続可能な地域づくりに向けた成果指標の必要性が高まっています。しかしながら、こうした領域におけるKGIやKPIの立てづらさは、多くの方が実感しているところではないでしょうか。観光領域だけにとどまらず、さまざまな分野の知見に学びながら深めていくべき論点だと、私自身も考えています。
出典
- [※1] パタゴニア日本支社「1% for the Planet」 https://www.patagonia.jp/one-percent-for-the-planet.html (2026年7月9日参照)
- [※2] パタゴニアの株式譲渡に関する報道(2022年9月) 例:日本経済新聞・各種報道 ※一次情報としてはパタゴニア社公式発表を参照 https://www.patagonia.jp/ownership/ (2026年7月9日参照)
- [※3] ブータン政府観光局「Bhutan’s Sustainable Development Fee」 https://bhutan.travel/journal/editorial/bhutan-s-sustainable-development-fee (2026年7月9日参照)